「勉強が一番大事じゃない」という”外角低めな元教員パパ”の話。
こんにちは。
WEB DeSIGN 1442(いっしょに)のYu(ゆう)です。
タイトルにも書きましたが、
僕は「勉強が一番大事だと思っていない元教員パパ」です。
もちろん、
「勉強なんてしなくていい!」という意味ではありません(笑)
ただ、28年間学校で働いてきて、
そして今、父をしていて、子どものことで心配になるのは――
「勉強ができているか」ではなく
「どんな顔で過ごしているか」 です。
中学の頃、まぐれで良い順位を取ったことがあって、
「褒めてくれるかな? 何か買ってくれるかな?」と期待して父に見せたら、
「俺の子なら当たり前だ」と一蹴されたことがあります。
はい、トラウマです(笑)
でも今思うと、あれはあれで “うちの父らしい” というか、
どこかで
「成績がすべてじゃないぞ」
という価値観を植え付けられた気がします。
だからかもしれませんが、
自分の子ども時代を思い返すと、
苦労して勉強した瞬間よりも、
ギターが弾けるようになりたいとか、
好きな子に振り向いてほしいとか、
嫌なことを言ってくるやつをどう攻略しようとか、
そういう“よく生きるための努力”の方が記憶に残っています。
そして実際に、自分の力になっている気もします。
学校の勉強って、どうしても
「できた・できない」で線が引かれがちですが、
本当は
“できるようになる瞬間” が一番楽しい。
そのときって、
テストでいい点を取った瞬間よりも、
数倍、数十倍ワクワクして、アドレナリンが出てるんじゃないかと思います。
でも現場にいると、
毎日の業務に追われて、
その“おもしろさ”を一緒に味わう余裕がなくなる瞬間がありました。
あれはずっとモヤモヤでした。
そして今、自分が息子の勉強を見る立場になって、
ますますその気持ちが強くなってきています。
息子くんの学校には「自主学ノート」というものがあるらしく、
彼は「気が向いたときにめちゃめちゃ一生懸命」やります(笑)
中身は恐竜と生き物の名前をひたすら書いたページ。
でも、そのときの目の輝きは本当にすごい。
で、僕は思うんです。
「学びって、本来そっち側だよなぁ」
ときどき
「子どもが全然勉強しなくて…」
と相談を受けるけれど、僕はこう思っています。
“その勉強、しなくても生きていけるかもなあ。”
究極の話ですが……
覚えたことが数年後には間違っていることも普通にあります。
今はAIやタブレットもあって、調べる手段なんていくらでもある。
じゃあ何が大事なのかというと、
“調べ方・考え方・切り抜け方”
なんですよね。
「どうにかして生き延びる力」と言ってもいい。
勉強で楽しい瞬間って、
「できた!」「わかった!」と実感できたときや、
誰かと「これ面白いね!」と共感したときだったりします。
そして
「好き」を見つけて、勝手に深掘りしていく子どもを
たくさん見てきました。
目をキラキラさせながら。
勉強は、あとからいくらでも追いつける――
僕はそんなふうに信じている派です(異論は認めます)。
でも、
自分を好きになれたり、
安心できる家の空気があったり、
「大丈夫だよ」と言ってもらえたり、
そういう土台は作り直すのがむずかしい。
だから僕は、
“目の前の子どもが安心して過ごせる空気をつくること”
を大事にしています。
家庭でも、学校でも。
……といっても、うちは毎日ゆるゆるで(笑)
「片付けようか」と言っても
「あとで(目線は遠く)」の連続です。
でも、
「まぁ、子どもってそういうもんだよな」
と、やっと思って見守れるようになりました。
そんな感じで、
木曜のブログは少しゆるめに、書ける日に書きます。
“元教師としての本音”、
“子育てで感じていること”、
“50歳から主夫になって思う家事あるある” などを中心に。
来週は、
「やらされない学び」
について書けたらいいなあ。
書けるかなあ…と思っています(笑)
よかったら、また読んでくださいね。
Yu(ゆう)
WEB DeSIGN 1442(いっしょに)

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